あとがき(代表コラム)
地域活動という正義
関東大震災が発生した年から100年目にあたる2年前の2023年。各メディアにて災害の特集が組まれる中で「防災士」という資格を知りました。
正直なところ、これまで防災についてそこまでの関心があったわけではありませんでした。しかし、商店街等の数々のイベント制作に関わらせていただく中で、地域でのさまざまな方々が集まり協力して、一つのことを作り上げていく過程から生まれる「人」と「人」との関係は、究極的には発災時の助け合いになる、という意識と結びつき、勢いで勉強して、その年のうちに資格を取得しました。
おかげさまで、地域防災の啓蒙や防災関連のイベントの企画・運営、既存イベントに防災ブースを導入などなど…と、活動の幅も拡げる機会にもつながっています。
そんな中で国や自治体というマクロな視点と、震災救援所や地域防災団体、町会といった現場で見るミクロな視点の狭間において、「地域」の在り方の重要さをより認識すると同時に、「活かされ方」の課題を感じずにはいられなくなってきました。
現場へ出向けば「国や行政がもっと…」といった期待であったり、不満であったり…そういった声をよく聞きます。一方でマクロな世界では、予算の捻出や防災庁の設置、マンション防災における補助など、国、都、区や市単位での枠組みは作られていっています。災害大国ゆえ、手厚いといえば手厚い施策が施されています。「東京防災」の冊子の全戸配布やアプリ開発など、かなりの予算規模で動かれています。
しかし、そんなツールが活かされているかどうか、はまた別の課題として浮上します。都民の理解度や関心の高さといった数値化されにくい部分はどうしても効果測定できず、評価の穴になってしまう感じは否めません。
ネイバーズグッドのメンバーが関わる「すぎなみU30ミーティング」といった若い世代との行政との接点や関心度を高めるという課題を与えてくださっている中で、その評価基準の設計の提案も重要だと考え、都度都度伝えさせていただいています。従来の評価では講座の参加した人数がその事業における基準となります。しかし、それではどうしても時間に余裕のあるシニア層が参加される講座と比較となり、相対的に低い評価となってしまう可能性があります。なので、U30が中心となって実施した催しにおいて、どれだけの地域の方を巻き込めたか、を評価数値として認識してもらうことで費用対効果を見てもらい、継続の判断材料にしていただく、という大人の事情の部分も含めての設計も必要だと考えています。
「防災」という分野は、その最たる例のようにも感じます。訓練やイベントを行うことも大切ですが、その内容の実践性や参加してみたいと思っていただく方々の関心の高まりといった部分の数値化が難しく、行政と現場のギャップは生まれてしまっていると考えています。
加えて、「地域活動」という圧倒的な社会的正義感はなかなか厄介な働きをしてしまうことが多いです。人々の「善かれ」に絶対的なものはなく、そして「完全なる利他」のみで行動できる人間もそうそういるものではありません。
「防災」にせよ、なににせよ「地域」においては人の「善意」に依存してしまっています。それが『「やってもらっている」/「やってあげている」』の関係になってしまいがちで、ふとしたキッカケでバランスが崩れた際には、すぐに機能不全に陥ります。うまくいっている場合においても、そこには競争もなく、満たされるのは自尊心くらいなので、その人の自己満足がその「質」の上限となります。
そして、そんな社会的正義感は「お金」との相性が悪く、無償の美徳の価値観があります。時代の変化に合わせて、そのマインドセットは変えなくてはなりません。「ソーシャルビジネス」という言葉が出始めてきました。いっとき、ネイバーズグッドもそんな価値観を目指しましたが、現場を重ねる度にそれもなんだか違うように思えてきました。今は「ビジネス」そのものにちゃんと向き合うことが必要だと考えます。
なんとか今年で5期目を迎えた中で、経営というものに向き合っていると、儲けを出すまで、必然的に「社会」の存在があるとつくづく感じます。「社会」をなくしては儲けはありません。そして、その「社会」に介入させてもらうためには、「人的資本」が必要となってきます。「人的資本」とは、課題やニーズに対して、技術をもって解決させる力と解釈します。僕らの業界であれば、それは「デザイン」であり、飲食業界であれば「料理」だったり、建築であれば「設計」や「施工」…などなど。高い技術を持ち合わせいれば、その分、「社会」からの必要さを増してきます。社会的正義感における無償の美徳は、「人的資本」を否定のように感じます。
生涯の時間をかけて学び、身につけてきていることの価値を認めない。そんな世界にいるように思うと、社会に役立てるように勉強してきたのに、それを否定されるという変なパラドックスを感じます。
やはり、時間をかけて学び続けて身につけた技術をもって、より高い価値を社会に提供することが、社会貢献における健全なカタチだと思います。儲けが悪なのではなく、生み出した価値から儲けたお金の使い方に良し悪しがあるのです。
ビジネスにおいてはもう一点、「取引」という欠かせない要素があります。この「取引」によって強い協力が生まれます。社会的正義感が動機となるものには、基本的に「善い行い」という自覚と、それに貢献すべきという価値観に立たれているため、「取引」をする選択がありません。ギバーのつもりでありながらも、無意識なテイカーとなってしまっていることが、本当に多いです。
私たちにもまだまだ十分な力がないため、人の気持ちに頼らざるを得ない局面も多いです。なので、本当に気をつけなくてはならないといつも強く意識をしています。お金も取引の手段のうちの一つで、お金が全てというわけではありません。お金だけで成り立つ貨幣関係も必要ですが、社会的意義の共有は難しくなります。お金の代わり、もしくは足りない分の補填となる条件で取引で成立できれば、良い力が生まれます。
Index ネイバーズグッド《2025年4月号》
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